2014年11月14日金曜日

中国シロウト外交の行き着く結末(5):「もし中国が日本に歩み寄ったなら、次になにが起こるのか」

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レコードチャイナ 配信日時:2014年11月14日 9時5分
http://www.recordchina.co.jp/a97426.html

APECで日本への歩み寄りを見せた中国、
対日本の政策を調整か?

の質問に外交部が回答―中国

  2014年11月13日、中国外交部は、中国の対日・対フィリピンの姿勢について発言した。
 中国国営ニュースサイト・CRI Online

 13日の同部の定例記者会見で、
 「アジア太平洋経済協力会議(APEC)で
 中国は日本やフィリピンに対し歩み寄りの姿勢を見せたが、
 これは領土問題による緊張状態を緩和することが目的か?
 中国が関連政策を調整していると意味するものか?
との質問が上がった。

 これに対し、洪磊(ホン・レイ)報道官は、
 「今回のAPECで中国の指導者は各国首脳と意見交換し、関連国との関係改善及び発展に関して中国側の立場を改めて示した。
 領土問題において中国は、国家の主権と領土を守るという明確で一貫した立場を堅持している。
 同時に、対話での解決を第一に考え、共に地域の平和と安定及び発展を維持したいと考えている」
と中国側の姿勢を改めて示した。

   「中国は日本やフィリピンに対し歩み寄りの姿勢を見せた
という言葉に顕れるような態度を
  中国が日本に対してとった、とメデイアは判断した
ということになる。
 このことは、
 「中国が日本に歩み寄った」
のは何故という理由をいろいろ想像させてくれる。
 答えを言葉短くに言えば
 「中国がもう日本を突き放せなくなっている」
ということだと思う。
 が、とすると、
 「もし中国が日本に歩み寄ったなら、次になにが起こるのか」
という次の問題が発生する。


 WEDGE Infinity 日本をもっと、考える  2014年11月14日(Fri)  石平
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4439

日中首脳会談
追いつめられた習近平、
主導権を握った安倍首相

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  11月10日に開かれた日中首脳会談について、識者の評価は割れている。
 積極的に評価する本記事に対し、「やるべきだったのか」と疑問を呈する富坂聰氏。小谷哲男氏は、会談によって日中がスタート地点に立ったと一定の評価をしながらも、今後対話を進めていくうえでの不安要素を指摘する。
 また、佐々木智弘氏は会談実現に至った中国側の事情を、『人民日報』をもとに解説する。
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 2014年11月10日、北京で開催していたアジア太平洋経済協力会議(APEC)にあわせて日中首脳会談が約2年半ぶりに実現された。

 会談実現の5日前、筆者は本コラムで「中国政府は日本との首脳会談に応じる方針をほぼ固めたのではないかとの結論に達している」(記事参照)と述べたが、その後の展開はまさに予測した通りであった。
 一時は不可能だと思われた安倍晋三首相と習近平国家主席の会談は現実に行われたのである。


●写真:ロイター/アフロ

■日本は「尖閣」でも「靖国」でも譲歩していない

 会談実現の3日前、日中両国政府の安全保障・外交の責任者が徹夜の交渉を通じてまとめた一通の合意文書を発表した。
 その時点で、首脳会談の開催は事実上決まった。
 つまりこの合意文書こそ、会談実現の決め手となったわけである。

 日本の一部のメディアや論客たちは、この合意文書の内容を問題として、
 「日本が合意文書において従来の立場を後退させて中国に譲歩した」、
 「日本が譲歩したからこそ中国が会談に応じた」
との論調を展開していた。
 しかし真実は果たしてそうだったのであろうか。

 中国は以前から首脳会談開催の前提として、
 「尖閣に関する領土問題の存在を認める」と、
 「安倍首相は靖国神社を再度参拝しないと確約する」
という「2つの条件を日本側に突きつけてきた」
が、件の合意文書は、果たして中国側の出した条件を受け入れて日本の立場を後退させたものであるかどうか、それが問題なのである。

 この問題を論じるには当然、合意文書の文面の解読から始めなければならない。

 まず「靖国参拝問題」に関しては、それに関連していると思われる合意文章の文面はこうである。

 「双方は,歴史を直視し,未来に向かうという精神に従い,両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた。」

 「政治的困難」に、いわゆる「靖国問題」が含まれるかどうかについて色々と解釈の余地があると思われるが、「靖国」の文字が出ていないのは事実だ。
 つまり、この文章を読む限り「日本側が首相の靖国不参拝を約束した」ということにはならない。
 この合意文書において、日本側は決して「靖国不参拝の確約」という中国側の条件を飲むようなことはなかった。

■「近年緊張状態が生じている」尖閣諸島

 次は、尖閣問題に関する文面を見てみよう。
 原文は、「双方は,尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識」とある。

 この文面を素直に読めば、日本は確かに、「異なる見解を有する」こと、中国が日本と違う見解を持っていることを認めたが、しかしここで「異なる見解」の対象となっているのは「近年、緊張状態が生じていること」であって、「領土問題」の存在ではない。
 文中には「尖閣諸島」の固有名詞も出ているが、それは単に「緊張状態」の生じる場所として取り上げられているのであって、文面の主語になっていないことは明らかだ。

 さらに注目すべきなのは「近年」という言葉がつけられていることだ。
 それによって「異なる見解」の指す対象はますます「領土問題」とは無関係なものとなる。
 というのも、尖閣を巡っての領有権問題は「近年」から始まったわけではなく、数十年前からのものだからだ。

 つまり、文書を素直に読めば、それは決して「日本が領有権に対する中国の見解を認めた」、あるいは「日本が領有権問題の存在を認めた」ことにはならない、とよく分かる。
 「領土問題は存在しない」という、
 尖閣問題に関する日本政府の立場はまったく後退していない
のである。

 岸田文雄外相も11月11日の記者会見で、
 尖閣諸島をめぐって日中両国が見解の相違を認めた合意文書を発表したことに関して「尖閣に領土問題は存在しない」とする日本政府の立場は全く変わっていない
という認識を強調した。

 それに対して、在日中国大使館は12日、「厳重な関心と強い不満を表す」とする報道官談話を発表した。
 しかしここで注目すべきなのは、彼らはさすがに、
 「日本が合意に違反した、合意を反古にした」とするような批判はしていない
ことだ。
 それもまた、合意文書には「領土問題」が含まれていないことの証拠なのである。

 このように、日中間の合意文書において、
 日本政府が中国に譲歩して領有権問題の存在を認めていない
ことは火を見るより明らかである。

■何としてもAPECを成功させたかった習近平

 しかし、日本が中国に一切譲歩していないにもかかわらず、
 中国はなぜ日本との首脳会談に応じたのか、
 あるいは応じざるを得なかったのだろうか。

 その理由の一つは、10月23日に本コラム掲載の拙稿「中華思想に基づく習近平の上から目線外交」で論じているように、APECという国際会議の大舞台を利用して、「懐の深い中華皇帝」を演じたい習主席はやはり、アジアの主要国家である日本の総理大臣が「拝謁」してくるような場面を必要としていることにある。

 実はこのような思想面の理由以外に、あるいはそれ以上に、現実の国際政治においても、
 この2年間アジア外交において相当追い詰められている習主席と中国には、
 安倍首相との首脳会談に応じざるを得ない切実な理由があった。

 2012年11月に政権発足以来2年間、習主席はある意味ではずっと、安倍政権との対抗路線をとってきたことは周知の通りである。
 中国が日本との首脳会談を頑なに拒否する一方、国内外においては「安倍叩き」を進め、「極右分子・危険な軍国主義者」などと激しい表現で批判してきた。
 そして尖閣周辺の海域と空域では日本に対する挑発行為をエスカレートさせている。

 一方の安倍首相はその間、中国包囲網の構築を目指すアジア外交を精力的に展開した。
 日米同盟を強化した上、東南アジア諸国との連携を進め、あらゆる国際会議の場を借りて「力の支配」を企む中国に対する批判と牽制を行った。

 その結果、アジアで孤立を深めたのは中国の方であった。
 一時はベトナムとフィリピンは反中国の急先鋒となってしまい、ASEAN諸国の大半も安倍首相の中国批判に同調する方へ傾いた。
 気がつけば、習主席のアジア外交はすでに袋小路に入っていた。

 そこで習主席は何とか劣勢を挽回すべく外交を立て直そうとしていたところ、中国が議長国を務める今回のAPECは最大のチャンスとなった。
 中国は着々と動き出した。
 まずはベトナムとの対立を緩和させ、フィリピンとの領土紛争も一時的に休戦させた。
 経済援助を手段に一部のアジア国を手なづけた。
 こうして準備万端の状態で、習主席はAPECの大舞台に立った。 

 ちなみに、中国がAPEC準備のために国内でとった一連の措置からも、その成功にかけた習主席の意気込みが窺える。
 たとえば会議開始の10日前から、北京市内で車のナンバーによる交通規制が始まったが、それは当然、会議中の北京の大気汚染を軽減するための措置だ。
 実は同じ目的で、北京周辺の河北省では、大気の汚染源となる鉄鋼産業などの「汚染産業」の工場が一斉に操業停止を命じられた。
 それらの措置のもたらす市民生活の不便や経済的損失の大きさが察して余るところであるが、どんな代価を払っても、習主席は中国外交の起死回生のためには、このAPECを成功させなければならなかったのである。

■「すべての隣国と仲良く」

 そして11月9日、APEC首脳会議開催の前日、習主席は関連会議の一つであるCEOサミットの参加者の前で渾身の大演説を行った。
 その中で彼は、
 「中国はすべての隣国と仲良くやっていきたい」と高らかに宣言
したのである。

 もちろん国際政治の現実においては、どこの国でも「すべての隣国と仲良くする」ようなことはそもそも不可能であり、習主席の宣言はほとんど現実味のない大言壮語というしかない。
 しかしそれでも彼がそう宣言せざるを得ないのはやはり、今まで多くの隣国と「仲良く」してこなかったことを強く意識しているからであろう。
 アジア外交を立て直すためには、こうした大げさなアピールも辞さないのである。

 この宣言はおそらく、会議開催の前から習主席がずっと温めてきたものであろうが、会議の参加者と世界に向かって「すべての隣国と仲良くする」と宣言するならば、習主席は結局、安倍首相との首脳会談に応じる以外に道がないのである。
 それこそ近隣国の日本の首相との会談すら拒否しているなら、この発言は直ちに説得力を失ってしまうからである。

 このように、習主席は日本との首脳会談に応じざるを得ない立場に徐々に追い込まれていったが、実は今回のAPEC開催に当たり、彼にはもう一つ大きな心配事があった。
 中国にとっての「問題児」、安倍首相の出方である。

 APECは国際会議であるから、中国が招かなくても、安倍首相は北京にやってくることになる。
 そしてアジア主要国の指導者としては会議の席上それなりの発言権をもっている。
 今までに開催されたアジア関連の国際会議を振り返ってみると、安倍首相は常にそれらの国際会議を利用して中国の覇権主義に対する痛烈な批判を展開していたことがよく分かる。
 たとえば2014年5月末、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議で安倍首相は、日本の総理として初めての基調演説を行い、海洋進出を強引に行っている中国を厳しく批判したことは有名である。

 そしてもし、北京のAPECの席上、安倍首相が習主席とアジア太平洋地域の各国首脳の前でそれと同じような中国批判を展開してしまえば、習主席にとってはまさに悪夢の到来であろう。
 自らの存在感をアピールするこの華やかな大舞台が台無しになってしまうだけでなく、会議を利用してアジア外交を立て直そうとする計画がご破算になりかねないからである。

 だから中国は結局、安倍首相を「野放し」にするようことは出来なかった。
 そのためにも、習主席は最低限、安倍首相との首脳会談に応じる以外にない。
 おそらく会議開催の前から、習主席はすでにその腹を決めたのであろう。

 もちろんそれでも簡単に折れたくはない。
 会議開催直前のギリギリまで、中国は「領土問題の存在を認める」、「靖国は参拝しない」という2つの条件を日本側に突き出したままであった。

 しかし「頑迷な」安倍首相は最後までそれを拒否した。
 窮地に立たされたのは習主席の方である。
 そしてAPEC会議開催の3日前、日中間でようやく4項目からなる前述の「合意文書」が交わされた。
 もちろん先ほど詳しく吟味したように、そこには「靖国」の文字も入っていないし、日本が認めたとされる「異なる見解」は「領土問題」を指していないことは一目瞭然であった。
 結局中国は、日本側に突き出した2つの「条件」を自ら引き下げて首脳会談に応じた
と言える。

 おそらくこのような経緯を強く意識しているからこそ、安倍首相との会談の冒頭、習主席は強ばった表情で尊大な態度を取ったのであろう。
 自らの悔しさを覆い隠すためにも、条件を引き下げたことを国民の目からごまかすためにも、彼はわざとこのような態度をとって虚勢を張るしかなかった。
 その瞬間、習主席は文字通り敗者となった。

■主導権を握るのは日本

 習主席にとって問題はむしろこれからである。
 「靖国不参拝」を約束しなかった安倍首相はいつでも参拝できるが、首脳会談に踏み切った習主席は、参拝されたら大変なことになるのだ。
 そうすると今後、安倍首相に気を遣わなければならないのは習主席の方だ。
 安倍首相を怒らせるようなことはそう簡単に出来なくなる。
 つまり、首脳会談後の日中関係の主導権を握るのは結局日本と安倍首相の方である。

 余談であるが、実は首脳会談が終わってから3日後の11月13日、APEC会議の以前から日本の小笠原諸島周辺の海域で赤サンゴを密漁していた中国の漁船団に対して、中国当局が突如呼び戻し始めたことが、日本メディアで報道された。
 どうやら、習主席に対する「安倍効果」はその威力をすでに発揮し始めているようである。


WEDGE Infinity 日本をもっと、考える  2014年11月14日(Fri)  富坂 聰 (ジャーナリスト)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4443

日中首脳会談は本当にやるべきだったのか

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11月10日に開かれた日中首脳会談について、識者の評価は割れている。
 「やるべきだったのか」と疑問を呈する本記事に対して、積極的な評価を下す石平氏。
 小谷哲男氏は、会談によって日中がスタート地点に立ったと一定の評価をしながらも、今後対話を進めていくうえでの不安要素を指摘する。
 また、佐々木智弘氏は会談実現に至った中国側の事情を、『人民日報』をもとに解説する。
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 11月11日、北京の保養地「雁栖湖」で行われてきたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が首脳宣言を採択して閉幕した。

 日本の報道機関は、10日、日中首脳会談――中国側は会見と表現していたが――がおよそ2年半ぶりに行われたとあって盛り上がり、紙面を大きく割いて報じたのだった。
 試みにいくつかの新聞の11日付の見出しを並べて見ると、

〈日中 関係改善へ一歩〉(読売新聞)
〈海上連絡の早期運用合意〉(毎日新聞)
〈日中 互恵関係を再構築〉(産経新聞)

 と一様に日中が関係改善に動き出したことを強調する見出しとなっている。

 だが、現実はすでに多くのテレビが映像を伝えたように、習近平主席は安倍晋三総理と目を合わせようとはしないという冷ややかな態度で応じたのである。
 新聞がどんな見出しで煽ろうと、この会談が日中関係の画期になると考える日本人は少なかったに違いない。

■「日本から譲歩を引き出した」と大々的に報道

 私自身、事前の取材では好感触が何もなく「首脳会談の可能性は40%」と言い続けてきたこともあって、会談実現には驚きを感じたのだが、ふたを開けて見ると「やるべきだったのか」と疑問になるような内容だった。

 事実、北京の外交関係者はこう語りため息をつく。

 「外交部ルートでは会談実現を後押しするために奔走していました。
 ですが党内にはまだ抵抗する勢力がありギリギリまで会見を見送るという選択を残していました。
 そのことは会見するとの決定を日本側に伝えるのが直前になったことでも分かるでしょう」

 取材の頭撮りでは習近平主席が険しい表情のまま、安倍総理が語りかけた言葉を通訳が説明するのを無視して横を向いてしまい観る者を驚かせた。

 このほか、安倍総理を待たせるという演出や握手の場面でもバックに両国の国旗が置かれていないなど気になったことは多々あったが、要するに中国が日本の首相を歓迎していないことがよく伝わる会談であった。

 相変わらず対日外交では国民の目を意識した言動が目立ったが、事前に基本合意を取り付け、懸案である尖閣諸島問題と靖国参拝問題で日本側から譲歩を引き出し大々的に国内で報じたのもその一環である。

 基本合意が公表された直後、CCTV(中国中央テレビ)は人民ネットの記事を引用し、〈(日本が)初めて尖閣諸島問題で争いを明文化した意義は重大だ〉と評し、会談後には「日本の求めに応じて会見した」と報じている点にもそれは表れている。

 ホストがニコリともしない会談の映像は、こうして生まれたのだが、日本側も習氏の子供っぽさばかりを責めるわけにはいかない。

■日本側のビジョンが見えない

 そもそも「今回の会談はAPECのホスト国だから(日本の首相と)会談せざるを得ない」といった中国の事情につけ込んだ形で実現したもので、中国側には不満の残るものであった。

 加えて日本側の意図をはかりかねる事情も働いていた。

 「日本側は、はたしてどんな関係を中国築きたいのか。
 はっきり示さないまま、とにかく首脳会談だけやりたいと迫ってくることに対し、不信感があったのは間違いありません。
 党の一部には、最悪、安倍政権の間は日本との関係を改善しなくても良いという考えさえありましたからね。
 われわれとの関係をどうするのか具体的なビジョンもないのに、『会えた。良かった』とはしゃぐことに対し冷や水を浴びせたい気持ちになるのも当然でしょう」(同前)

 戦後レジームの転換に言及し、村山談話に疑問を投げかけ中国を挑発しただけでなく、中国包囲網とも受け止れる地球儀外交を展開したうえで「常に対話のドアは開いている」と首脳会談ができないのは中国のせいだといわんばかりの対応をしてきたというのが中国側の安倍外交に対する評価だ。

 それなのに首脳会談をするためとなれば、「歴代内閣の歴史認識を引き継ぐ」と大きくトーンダウンさせる。
 そうであれば、また平気で「心の問題だから」と靖国神社に参拝するのではないか。ならば中国にとって首脳会談はリスクでしかないことになる。

 今回、会談を行うに先立ち中国が基本合意を求め公表したのは、恐らく予防措置の一つだろう。
 基本合意は多くの海外メディアも好意的に受け止められ記事にもされたが、なかでも『ニューヨーク・タイムズ』を筆頭にいくつかの欧米メディアは、「今後の日中関係が進展するか否かは安倍総理の行動次第」といったトーンで書いていたのが特徴的だった。
 つまり、歴史認識を揺るがす行為――靖国参拝など――に対しては今後は中国だけではなく欧米メディアも厳しい目を向けるといった環境を安倍政権は自ら作り出したということができるのだ。

 それを考慮すれば、無理に会談をするのが良かったのか、疑問を禁じ得ない。

 日中首脳会談を仕掛けるのであれば、来年の秋以降まで時間をかけてゆっくり準備しても良かったのではないだろうか。
 来年は中国とロシアが「戦勝70周年」イベントを大々的に行い、日本に対し“歴史認識”が厳しく突き付けられる場面が続くことが予想されるのだ。
 それが一段落したタイミングでも決して遅くはなかったはずだ。

■アメリカ、ロシア、インドネシアへの関心

 さて、APECで見るべき点は日中間ではない。逆に外交的に大きな収穫を得た中国の動きだ。

 特筆すべきはアメリカの急接近である。

 2014年11月4日、米ジョンホプキンス大学で米中関係について講演を行ったケリー国務長官は、
 「米中は建設的に2つの国の間にある意見の違いを乗り越えられていて、協力ができていると」
とした上で、
 「米中が協力できれば、いま世界が直面している危機や脅威の多くは解決できるだろう」
とまで言ったのである。
 オバマの大統領のAPEC訪問を控え、リップサービスをしたとも考えられるが、それを割り引いてもアメリカが従来とは違う対中観に傾きつつあることをうかがわせる発言であった。
 この講演ではさらに、米中関係を
 「今この時代にとても重要な2カ国間関係」とし、
 「21世紀の世界の発展を決定する要因」
とも語り、CCTV(11月5日放送)が嬉々として伝えたのである。

 同様に中国との関係をアピールしたのはロシアである。
 プーチン大統領は、
 「中国との関係強化はロシア外交の最優先課題の一つ」とし、
 「ロシアと中国のパートナーシップや戦略的関係は歴史上最も強い状態にある」
と言い切ったのだ。

 今回のAPECで中国の関心が一にアメリカ、二と三にロシアとインドネシアにあったことはさまざまな点からも見ることができるが、この3カ国とは相思相愛であった印象を残した。

 ロシアとはすでに4000億ドル規模のガスが2017年から中国に供給されることが決まっているが、その後毎年380億立方メートルの天然ガスを30年供給するという関係に入る。
 10年に及んだ価格交渉では、やはり中国との関係を重視したロシアが妥協したと考えられている。

 APEC開催前にはCCTVがロシアのプーチン大統領とインドネシアのジョコ大統領の2人をインタビューして放映したが、インドネシアのジョコ大統領は、
 「海上高速道路を建設するというわが国の構想は、21世紀の海上シルクロード構築を目指すという中国の考え方とマッチしている。
 この分野での協力は双方にとって有益だ」
と応じ、海の協力関係が両国間で進むことをにおわせた。

 首脳宣言の採択では、中国を抜きに進められるTPPの不協和音に反し、FTAAPの存在感が強調されたが、その裏ではこうした慌ただしい動きも見られたのだ。

 日々流動する国際社会にあって、中国だけをターゲットにした地球儀外交がどれほど効力をハックするのかは、もはや語るまでもないことだろう。



 WEDGE Infinity 日本をもっと、考える  2014年11月14日(Fri)  小谷哲男 (日本国際問題研究所 主任研究員)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4444

首脳会談でようやくスタート地点に立った日中
中国国内情勢を見極めて対話を進めよ

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 11月10日に開かれた日中首脳会談について、識者の評価は割れている。
 積極的に評価する石平氏に対し、「やるべきだったのか」と疑問を呈する富坂聰氏。
 本記事では、会談によって日中がスタート地点に立ったと一定の評価をしながらも、今後対話を進めていくうえでの不安要素を指摘する。
また、佐々木智弘氏は会談実現に至った中国側の事情を、『人民日報』をもとに解説する。
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 11月10日午後、APEC首脳会合が開かれている北京で、安倍晋三総理大臣と習近平国家主席が初めてとなる日中首脳会談を行った。
 両者の背後には両国の国旗もなく、握手の際に笑顔もない、ぎこちない会談ではあったが、日本の総理と中国の主席が公式に会談を行うのは実に3年ぶりである。
 安倍総理は就任以来「対話のドアはオープン」と日中首脳会談を呼びかけてきたが、中国側は日本政府が尖閣諸島の領有権問題が存在することを認めることと、安倍総理が靖国神社を参拝しないことを対話の前提条件とし、事実上これを拒んできた。
 今回首脳会談が成立したのは、7日に日中関係の改善に向けた4項目について両国の意見が一致したからである。
 外務省が発表した内容は次の通りである。

1 双方は,日中間の四つの基本文書の諸原則と精神を遵守し,日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていくことを確認した。

2 双方は,歴史を直視し,未来に向かうという精神に従い,両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた。

3 双方は,尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し,対話と協議を通じて,情勢の悪化を防ぐとともに,危機管理メカニズムを構築し,不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた。

4 双方は,様々な多国間・二国間のチャンネルを活用して,政治・外交・安保対話を徐々に再開し,政治的相互信頼関係の構築に努めることにつき意見の一致をみた。

 要約すれば、両国は歴史認識と領有権について、”agree to disagree”つまり双方の見解が一致しないことを認め合い、その上で対話を再開するということである。
 両首脳も会談でこれを確認し、防衛当局間の海上連絡メカニズムの実務協議が再開される見込みである。

■日本側は何かを譲ったわけではない

 実は、今回日中両政府が発表した文書には4つのバージョンが存在する。
 日中が協議のベースとして中国語版に加えて、日本の外務省が和訳した日本語版、さらに日中それぞれが作成した英訳版があり、それぞれが、細部の表現やニュアンスで異なっている。
 特に、日中が異なる見解を有しているとされた東シナ海の緊張状態について、日本側の文章が「海域」をめぐって緊張が発生しているという表現になっているのに対して、中国側は「島」をめぐって発生していると表現している。
 つまり、日本側は中国の政府公船が領海に侵入することが緊張を生み出していると理解しているのに対し、中国は日本政府による尖閣諸島の購入が緊張を生み出したと解釈しているのである。

 このため、今回の「4点合意」については、双方が独自の解釈をする余地が残されている。
 識者の中には、中国が求めていた通りに安倍総理が靖国神社参拝を諦め、日本政府が領有権紛争の存在を認めたと中国に解釈する余地を与えたことは失敗だった、と評価する向きもある。
 実際、中国のメディアは中国外交の「勝利」を宣伝している。

 しかし、日本側は決して何かを譲ったわけではない。
 たとえば、1985年4月に安倍総理の父、当時の安倍晋太郎外務大臣が尖閣諸島について中国が異なる見解を持っていることを認める答弁をしている。
 日本の立場は変わっていないのである。

 そもそも、どちらが勝ったのかという議論はナンセンスである。
 安倍総理が前提条件なき対話を中国側に求めていたのは、外交は互いの見解の相違を認め合うことを前提に行うからであり、日中はようやくスタート地点に着いたに過ぎない。
 とはいえ、安倍総理が主張していた通りに、お互いに立場の違いがあっても対話をするということに中国が同意した事実が重要なのであり、勝ち負けよりも、これから中国とどのような対話をするべきかを問うべきである。

■中国国内の権力闘争と密接に結びついている東シナ海問題

 今回、日中は東シナ海に関して双方の見解が異なることを確認したわけだが、中国が尖閣諸島に関する独自の主張を日本に受け入れさせる圧力を止めることはないであろう。
 互いの見解が異なる以上、今後も東シナ海で不測の事態が起こる可能性は否定できないため、首脳間で危機管理についての対話を再開することが確認されたことは一歩前進である。
 しかし、日中が危機管理についての協議を始めることに合意したのは第1次安倍内閣の時であり、今回協議再開に合意できたからといってすべてが順調に進むとは限らない。
 なぜ前回うまくいかなかったかを検証しておく必要がある。

 東シナ海をめぐる緊張の始まりは、2008年12月に始めて中国の政府公船が尖閣諸島の領海に侵入してからである。
 同年6月に日中は東シナ海ガス田の共同開発で合意したが、この合意は中国国内の強硬派の激しい反発を招き、以後当時の胡錦濤指導部は東シナ海問題で強硬な姿勢を取らざるを得なくなった。
 この時、強硬派を率いて胡錦濤指導部を批判したのが、石油閥のトップであった周永康元共産党中央政治局常務委員であったと考えられている。
 その背景には、次の国家主席の座をめぐる権力闘争があり、東シナ海問題はいわば中国国内の権力闘争の人質となったのである。

 胡錦濤指導部の後継問題が過熱するにつれ、尖閣諸島周辺に現れる中国船の数も増え、2010年9月には尖閣諸島の領海内で不法操業をした中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりする事件が起こった。
 このような状況に適切に対応するためにも、日本政府は2012年9月に尖閣諸島の3つの島を民間の地権者から購入したが、それは胡錦濤指導部から習近平指導部への権力の移行が始まるという最も微妙な時期でもあった。
 周永康派閥からの無用な批判を避けるため、習近平指導部も引き続き日本に対して東シナ海問題で強硬姿勢を取り、原則合意にまで至っていた海上連絡メカニズムに関する協議も一方的に取りやめた。

 今回、日中が対話再開に向けた動きを加速化させたのは7月に福田康夫元総理が訪中して習近平主席に会ってからであるが、周永康氏の汚職に関する公式な取り調べが始まったのも同じ7月であったことは決して偶然ではないであろう。
 中国国内の権力闘争に一応の目処がついたため、日本との対話の道が開けたのである。
 逆にいえば、今後の中国国内情勢によっては、中国が対話を一方的に取りやめる可能性は残っている。
 このため、中国との対話を行う際には常に中国国内の情勢を見極めておく必要がある。

■再び強まる歴史認識に対する圧力、日本が注意すべきことは?

 中国との危機管理を進める上でもう1つ気をつけなければならないのは、中国空軍の動きである。
 海上連絡メカニズムは基本的には海軍同士の枠組みであり、ホットラインと定期協議の設置、および艦船同士の通信方法に関して原則合意がなされている。
 しかし、2013年11月に中国が防空識別圏を設定して以来中国空軍の活動が活発化し、自衛隊の偵察機に30メートルの距離まで異常接近して、通常の偵察業務も妨害する案件が相次いでいる。
 中国は、中国周辺での外国軍による偵察活動を認めておらず、海上連絡メカニズムに関する協議の場を利用して、国際法上認められた自衛隊による東シナ海での偵察活動の中止を求めてくる可能性が高い。
 そうなれば、肝心な危機管理に関する協議が滞ることになりかねない。

 米中は1990年代から軍同士の危機管理に関する協議を続けているが、2001年には両者の航空機が衝突する事件があり、それ以降も一触即発の事態を繰り返してきた。
 このため、日中間で危機管理に合意できても、それが危機の発生回避には直結しない可能性があることを忘れてはならない。
 しかし、米中間の協議の質は、徐々にではあるが確実に向上しており、日中間でも時間をかけて危機管理についての対話を続ける必要がある。

 一方、2015年が第二次世界大戦終結70周年であるため、中国が歴史認識に関して日本への圧力を強めることが予想される。
 このため、来年にかけて、今回「若干」の認識の一致しかできなかった歴史認識をめぐって日中関係が再び不安定化するかもしれない。
 今回の「4点合意」に反して日本政府が歴史を否定していると批判する口実を中国政府に与えないようにすることに細心の注意を払うことが重要である。
 この点をふまえて、日本政府は2015年に向けてどのような歴史に関するメッセージを国際社会に発信していくのかを検討するべきである。




【描けない未来:中国の苦悩】






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